建築家にとって一番大切なもの‐1355‐
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 今月の初め、建築家・高松伸さんとお会いする機会がありました。



 あるホテルで、フレンチをご一緒させて頂いたのです。

 高松伸さんは京都大学の名誉教授で、私達の年代から見れば、レジェンドと言ってよい存在です。

 2年前、母校での文化祭に呼んでもらいました。

「卒業生によるプロフェッショナル相談会」というイベントに参加するためです。

 そこに参加していた大先輩から「高松先生と食事をするけど、ご一緒してみる?」と声をかけて貰ったのです。



 先日行った沖縄の浦添市にある「国立劇場おきなわ」。

 2003年の作品です。



 何と言っても目を引くのが反りかえった外観です。

 竹を編んだような外皮はプレキャストコンクリート製で、軒下空間をつくっています。



 これは沖縄の民家をコンセプトに取り入れたものでした。



 2007年完成のナンバ・ヒップス。

 これは知っている、という人も多いのでは。

 現在は無くなりましたが、道頓堀と心斎橋筋商店街の交点にあった、キリンプラザ大阪も1987年の作品です。



 2015年のシルバーウィークは長崎、佐賀をまわりました。

 長崎港ターミナルは、1995年の作品。



 グラバー邸から見下ろした景色ですが、出島エリアでも存在感を放っています。



 島根県伯耆町にある、植田正治写真美術館も1995年の作品。

 2013年の夏季休暇旅行で訪れました。

 逆さ富士ならぬ、逆さ大山が水面に映ります。



 京都駅から歩いて行ける東本願寺。

 その参拝接待所は地下に埋められています。



 こちらも高松伸さんの設計で1998年の作品。

 スケール感、造形の自由さ。間違いなく日本の建築界を牽引してきたトップランナーです。

 子供みたいな質問をして、場をしらけさせないようにと思っていましたが、どうしても聞きたいことを質問してみました。

 「ご自身が一番納得しているのはどの作品ですか」

 「それは、今設計している作品ですね。未来の作品がそうだと思っています」

 即答でした。



 台湾でも、ビッグプロジェクトが完成、また進行中とのこと。

 そのヒストリーを聞くと、仕事の成功とは本当に青天井だと感じます。

 高松伸さんは食事会のあと京都に帰られましたが、会でご一緒した方と朝方まで飲んでいました。

 何をして成功と言うのかは、人によって違うかもしれません。

 しかし、誰がみても成功という成功は間違いなく成功です。

 カリスマやレジェンドという言葉を軽々しく使うつもりはありまあせんが、そういった人達のみに許される呼称なのでしょう。

 それらを分ける分岐点は、やはり日々の行いのような気がします。

 「仕事とは整理整頓に尽きると所員には教えていますよ」と仰っていました。

 もうひとつの質問です。

 「建築家にとって、一番大切なものは何ですか」

 「クライアントですね」

 クライアントの希望をかなえてこそ建築家だものね、と。

 成功、成長と感謝は同じカテゴリーにない言葉だと思っていましたが、どうもそうではないようです。

 トップランナーが発する言葉の中で「感謝」は最も頻度の高い言葉だと思います。

 最高にモチベーションが上がった夜だったのです。


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 大人でも寒いので、お子さんはなお寒いはず。



 この日は、お子さん2人とご両親、ご兄妹も遊びにきてきくれました。

 現場で2時間も、3時間もご夫妻を拘束するので、その間の子守りも含めて、皆さんで遊びにきてくれたのです。



 テンションの上がった3歳のお姉ちゃんは、かなり薄着でした。

 やはり子供は風の子でした。

 ハシゴを降りる時は、おじいちゃんの抱っこで。



 1歳半の弟君は、お母さんの抱っこで。

 何とも幸せそうな笑顔です。



 そして、姪っ子さんも遊びにきてくれました。



 仲良し女の子組は、記念に壁へお絵かきしてもらいました。



 壁内で見えなくなりますが、ここい確かに成長の手跡が残っています。



 これはスタッフの田辺さんからのプレゼント。

 断熱材で出来たお人形です。



 私達が一番お会いするのは、クライアントであるご夫妻です。

 クライアントのご両親からすれば、お子さん、お孫さんが暮らす家が、どんなものになるのか、期待半分、不安半分だと思います。

 私達、また施工会社への思いも、期待半分、不安半分。

 もう少し正直に言えば、不安のほうが大きいと思います。

 知らない、分からないは、不安を大きくこそすれ、信用側には転びません。

 不安を小さくする、解消する方法は1つだけ。お会いする、みていただく。これに尽きるのです。

 よって、どんな時でも現場訪問は大歓迎なのです。

 お孫さんを抱っこするおじいちゃん。これ程微笑ましい光景は、そうありません。

 家創りは、親族をあげてのまさに総力戦なのです。

文責:守谷 昌紀




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沖縄の旅<後編>‐1353‐
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 2月12日(日)沖縄2日目です。

 予報は曇りでしたが、概ね晴れてくれました。



 恩納村のホテルをあとにし、海岸沿いの国道58号線を北上します。



 1時間弱で名護市役所に到着。

 1981年、象設計集団の作品で、日本建築学会作品賞を受賞しています。



 建物まわりには整列されたグリッド状の回廊がめぐらされ、樹々が建物を覆います。



 象設計集団はバナキュラー(土着的)な建築設計で知られ、この名護市庁舎も、沖縄の民家を手本としました。



 その木漏れ日は、極めて優しいのです。



 背面に回ると全く違った表情を見せてくれます。

 強い日差しと相まってか、イスラム圏の建築を思わせます。



 各柱、梁の交点にシーサーが鎮座しています。



 その全てのシーサーは、ひとつとして同じものがありません。



 建築を覆う樹々のなかから、小鳥のさえずりが聞こえてきます。

 建築と自然。相反するものが、廃墟でなく融合している。

 日本の市庁舎の中で、最も美しいものかもしれません。



 名護をあとにし、今度は東海岸を目指します。

 平安座島(へんざじま)の海中道路。



 子供達は海の中を走ると期待していましたが、もちろんそれは無理。

 しかし、海と道が近く運転していても爽快です。



 さらに橋を渡り、浜比嘉島にも立ち寄ってきました。

 近くの港をのぞくと本物の海人に初遭遇。



 昔ながらの民家ばかりではありませんが、それでも沖縄の風土を受け継いだ民家が数多く残っています。



 石敢當(いしがんどう)と読むそうですが、交差点などにおく魔除けだそうです。

 街中でもかなりの頻度で見ました。



 空家問題は、全国的なものですが、沖縄の空家は深く樹々に覆われたものが沢山ありました。



 北海道にも沢山の空家がありましたが、ここまでになるには、かなりの時間がかかるでしょう。



 駐車場に停まっていた車のホイールがちょっと変な感じでした。

 近くでみてみると、錆びきっているものにカバーが付けられていました。



 沖縄は太陽も、潮風も、全てが強く、それらは人工物にダメージを与えるでしょう。



 日本の自然は、欧米の自然に比べると「強い」と言えます。

 高温多湿で、放っておけば空き地は草木が生えてきますが、これはどこでも起こることではありません。

 その日本の中で、沖縄は最も自然の強い地域です。



 沖縄での台風を体験したことはありませんが、その厳しく美しい自然が、建築の形態を受け継がせるのではないかと思うのです。



 一番心に残ったのは、やはり自然の美しさでした。

 人は自然を消費する罪深い生き物です。さらに私の仕事は、人工物を創ることです。

 沖縄の建築にみた、畏敬であったり、敬意を込めた物創りをしたいと思います。

 青い空、澄んだ海、濃い緑のガジュマル、深紅のハイビスカス、赤瓦に白い漆喰。

 初めての沖縄は、思った以上に刺激の多いものでした。

 今度は泳げる季節に来てみたいと思います。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
43/47 【】はまだ

北海道

【青森】 【岩手】 【宮城】 【秋田】  山形 福島

茨城 栃木 群馬 埼玉 千葉 東京 神奈川

新潟県 富山 石川 福井 山梨 長野 岐阜 静岡 愛知

三重 滋賀 京都 大阪 兵庫 奈良 和歌山

鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

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沖縄の旅<前編>‐1352‐
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 「家族で47都道府県制覇の旅」は昨秋の佐賀、長崎以来です。

 家族揃って日本をめぐるのが目的ですが、私が行ったことのない県が1つだけ残っていました。

 それが沖縄です。



 青い空に、赤瓦の屋根。



 そこに鎮座するシーサー。

 全てが初めて目にするものです。



 2月10日(土)10:00amに初めて沖縄に足を踏み入れました。

 私にとって最後の日本です。



 車を借り、那覇市内に向かいました。

 まずは昼食ということで、住宅街にある「す~まぬめ」という沖縄そばの店へ。



 この日の那覇は最高気温が14℃。

 地元の人は寒い寒いといいますが、大阪の朝は3℃。私にとっては十分南国です。



 強い日差しに対して、深い軒がかかっていました。



 もう少し天気が良ければ外で食べたかったところですが、娘が風邪気味で、残念ながら屋内の席に。



 ソーキそば700円、沖縄そば600円、じゅうしい150円(沖縄のかやくごはん)。

 日本で最も古い肉食文化を持つ沖縄ですから、豚、牛とも本当に美味しかったのですが、麺類がこれほど美味しいとは驚きました。

 かつおと豚骨の合わせ出汁とのこと。



子供は正直なもの。

付け合わせのヨモギは無理でしたが、あっと言う間に平らげてしまいました。

 土地の物を食べると、多くのことが分かります。



 その足で、世界遺産の首里城へ。

 首里城は戦争で全て消失しており、初めに再建されたのがこの守礼門です。



 全ての再建が終わり、2000年に世界遺産に登録されました。

 沖縄の文化は、風土、食、衣服をみてもあきらかに独特のものです。

 中でも建築に大きな影響を与えるのは、台風を含むその厳しい自然環境でしょう。



 首里城南西にある、金城町石畳道。

 戦禍を逃れ、500年前から残るものだそうです。

 現在の沖縄では、住宅の多くが鉄筋コンクリートで作られています。その比率は驚く程でした。

 現代の住宅が、重くて頑丈からかい離して行く中、その厳しい自然が逆方向に建築を導いているのです。



 那覇から浦添市の港川にある「外人住宅街」にも立ち寄ってきました。



 戦後すぐに、米軍用に建てられた住宅ですが、1972年の本土復帰とともに、民間の手に渡っていきました。



 コンクリートブロックで出来た住宅のようですが、軒が極めて薄く、非常に軽快な印象です。

 何よりカラフルが似合う街でした。



 宿泊は西海岸にある恩納村のホテル。



 夕食は近くのライブのある居酒屋へ行きました。

 沖縄の1日目は、オリオンビールとともに更けていったのです。



 この旅の相棒は、黄色のビートル。



 飛行機は鮮やかな黄緑。



 外人住宅街には赤いものも。



 日本最南端ですから、自然が美しいのは分かっていましたが、想像を上回る美しさ、カラフルさでした。

 しかしただ手放しで喜んでもよいのだろうかという気持ちもあります。

 もちろんそれは、沖縄を戦争と切り離して語ることはできないからです。

 それは回をあらためて書こうと思っています。

 南北、東西ともに3000kmあるこの国を、隈なくとまでは言わないまでも、一回りするのに46年掛かりました。

 一足先に私が47都道府県を制覇しましたが、多少感慨深いものもあります。

 今、思うのは本当に美しい国だなということです。

 2日目はまた木曜にUPします。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
43/47 【】はまだ

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キヤノンで観音様を撮ってみたい‐

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 先週、京都に立ち寄ったと書きました。



 海外からの旅行者の玄関口となる京都駅。1997年の完成です。

 梅田スカイビル等でも知られる原広司の設計です。



 京都の碁盤の目をモチーフに、中央を谷に見立てたプランで国際コンペを制しました。

 景観論争にも発展し、最も高さが低かった原広司案が選ばれたと記憶しています。

 正直、京都にあっているとは思いませんが、そこに一つしか存在できないのが建築なのです。



  京都駅前から東山七条くらいまで行くと、ようやく街並みにも雰囲気がでてきます。

 三十三間堂は、京都国立博物館の南向かい。




 一間=約1.8mなので60mかと思いきや、長さは120m。日本で最も長い木造建築だそうです。

 柱間が三十三あるので、通称として三十三間堂と呼ばれるようになったそう。形態が通称となったのです。



 三十三間堂は平清盛が援助し、1155年に後白河上皇の院内に創建されたのがはじまり。



 しかし火災にあい、1266年に再建されました。
 よく知られる「通し矢」は、お堂の西軒下で行われました。

 高さおよそ2.5m、幅も1m強の限られた空間で矢を24時間射続けます。そして、何本の矢を射通せるかを競いました。

 120mを射抜くには強靭な体力と技が必要とされ、京都の名物行事となっていったのです。

 内部はさらに素晴らしい。

 国宝の千手観音坐像は3mはある見事なもの。それを取り巻くように、階段状になった10段ある壇上に1,000体の千手観音像がずらりとならんでいます。

 仏像のある空間をみて、これほど感激したことはありませんでした。まさに圧巻です。

 しかし、残念ながら内部は撮影禁止でした。

 私は何か撮りたいものがあるときは、CanonのEOS 5D Mark Ⅱにシフトレンズ(建築写真用)とズーム付きのレンズを持って行きます。

 海外では写真好きの外国人に、それらをきっかけに声を掛けられたことが何度かありました。Canonは世界中で支持されているのです。

 Canonのロゴについては、公式サイトにこう載っていました。

 1933年に精機光学研究所が設立され、最初の試作機は「KWANON(カンノン)」と名付けられました。

 観音様の御慈悲にあやかり世界で最高のカメラを創る夢を実現したい、との願いを込めたものでしたが、世界に通用するブランドが必要になりました。

 そこで、英語で「聖典」「規範」「標準」を意味する「Canon」となったのです。

 カナカナ表記なら「ヤ」は小さくせず「キヤノン」が正解です。

 当初の「KWANON(カンノン)」の際は、まさに千手観音と燃え上がるロゴがデザインされていたそうです。

 まさに世界標準となった「Canon」。キヤノンで観音様を撮ってみたかった。

 創業者の御手洗毅は元医師でしたが、共同経営者が出征したため、本格的な経営に取り組むことになります。

 世界一を目指し「打倒ライカ」を掲げ実力主義を徹底するのです。

 一方、いち早く週休2日を導入。また、家族あってこそ仕事ができると、早く家に帰ることを奨励したそうです。

 企業においての働き方が問われる時代です。

 キヤノンの御手洗さんのように、医師としても、経営者としたもスマートで、世界的企業に育て上げる人もいます。

 先日、あるゼネコンの社長と話しをしていたら「いまどき週休2日じゃないと、応募がこないんですよ」と言っていました。

 建築現場も、週休2日が標準となる時代へ向かっているようです。

 その社長は「私は24時間、年中無休で、いつでも電話してこいと言っているんですが」と笑っていました。

 観音様の御慈悲は、もちろん皆に注がれています。

 しかしながら、若干の哀愁を感じてしまったのもまた事実です。


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穏やかでいると決めること‐1349‐
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 年始のことですが、「スポッチャ」という施設で、ビリヤードをしました。



 かなり久し振りでしたが、そこは「ハスラー2」のプールバー世代。

 娘と行っていたので、ああだこうだとアドバイスしてみました。

 キューが長いので、先の半分だけを使っていますが、時々ですがポケットにボールを落とすのです。



 それが楽しかったらしく、ビー玉を穴に入れるゲームを作ると言いだしました。

 お菓子の空箱を使うアイデアを持っていたので、底板を少しカットし、裏返すというアドバイスをしました。

 これがなかなかの出来で、おもわず「上手いねえ」と言ってしまいました。

 また、日曜日の子守がいない際は、時々会社へ連れていきます。

 すると娘が「この絵、凄いねえ」と感心しているのです。



 昨春完成した「SEIUNDO」に納めた本棚の、高さを検討したいというリクエストがありました。

 その図面が、机の上に置いてあったのです。

 断面図に少し線を描くだけで、それらが立体的に見えます。これはスタッフの田辺が描いたもの。



 それをみて、ものを立体的に描くことに目覚めたようです。

 最近スケッチが上手くなったなと思っていたのですが、更に腕を上げた感じがあります。

 嬉しいことだったので、田辺さんにそのことを伝えました。

 すると「小さい時に、36色入りの色鉛筆を買ってもらい、描くのが好きになりました」と。

 ちょっと自慢の色鉛筆を使い。それが彼女の絵を上達させたようです。

 そしてほめられてさらに上達。成長のスパイラルはいつの時代も同じです。

 娘の誕生日には、いい色鉛筆を買おうと決めました。

 やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。

 -山本五十六-連合艦隊指令長官

 子供も社員も、褒めて育てるのが一番という時代です。

 動かすためにほめるのは小賢しい気がしますし、心がこもっていなければ意味もないだろうとも思います。

 しかし、思わず褒められるような、平穏な状態であることが大切なのだろうかと考えています。

 朝から晩までトップギアに入れっぱなしの日は、カリカリしたまま家に帰ることもあります。

そんな日は、ギスギスした雰囲気になりやすいもので、到底「ほめるベース」で見ることなどできません。

 娘が起きている時は、玄関まで飛んできて私のカバンを運んでくれます。

 これより幸せなことは他にありませんし、そんなことが多少なりとも私の心を穏やかにしてくれるのです。

 ほめるというのは、相手の行動もそうですが、自分の心の持ちようが大きく影響しているのかもしれません。

 心が穏やかである。それは、そういう状況をつくれたときに成立すると考えていました。

 しかし本当は「穏やかでいると決めること」に他ならないのかもと、最近思っているのです。


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「中庭のある無垢な珪藻土の家」‐5‐仕事は仕事を超えてこそ、仕事として続く
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 遅ればせながら、現場に当社の横断幕をあげました。



 手前に停まっているトラックは、断熱材を吹き込む機械が積んであります。



 玄関框(がまち)は、無節の檜。なかなか立派な材です。

 こちらの家は、無垢、嘘のないということが、重要なコンセプトになっているのです。



 クライアントには、先週末、今週末と続けて現場に足を運んでもらいました。



 先週との違いは、間柱に繊維状のシートが張りつけられている点。



 外壁との隙間に、セルロースファイバーという新聞紙からできた断熱材を吹き込んでいきます。



 一般的なグラスウールより金額は張りますが、健康によい、音が静かなどのメリットがあり、今回実現に至りました。


 前に停まっていたトラックの荷台に、撹拌し送り出すコンプレッサーが積まれています。

 職長に「いつもより多めにね」と冗談を言うと「入れすぎるのも、効果が落ちるんですよ」と諫められました。

 失礼いたしました。



 敷地に合わせたフォルムは、バルコニーにも見てとれます。



 建ぺい率いっぱいに、かつ機能的で美しく。


 そこから上を見上げると、ちょうど屋根の施工中でした。

 今回、屋根材はブルーを選択しています。

 屋根上の職人に声をかけると、幾分誇らしげに応えてくれました。

 そう、ここは人生における舞台です。

 職人の人達がお子さんと近所を通っ時、「お父さんが仕事をした家を見に行くか」と言ってもらえるよう仕事をしたいと思っています。

 単価通りの仕事なら、単価通りの家しかできません。

 仕事は仕事を超えてこそ、仕事として続いていくのだと思っています。

文責:守谷 昌紀




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滋賀はシカ、石の国だった‐1348‐
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 初期相談があり、先週も滋賀へ。



 「地名由来辞典」によると、滋賀は「シカ(石処)」の意味で「石の多い所」を指すとありました。

 「石山寺」は、巨大な岩盤の上に建つため「石山」と名付けられたそうです。



 JRの新快速で大阪から1時間ほど。

 面談は初めてでしたが、気が付けば3時間が過ぎていました。

 「建築」を間に挟めば、興味のある人とならいくらでも話ができるものなのです。



 天気が良かったので、帰りは京都で途中下車しました。



 東山七条にある京都国立博物館は、2014年に平成知新館をオープンさせました。

 美術館の名手、谷口吉生の設計です。



 それまでは、東隣に建つ明治に建てられた建物が使われていました。

 こちらは赤坂迎賓館などを設計した片山東熊の作品です。



 長いアプローチを歩くと、南面するエントランスが見えてきます。



 西をみると、水盤に浮かぶ列柱、カーテンウォールの単調な繰り返しが続きます。

 それがさらに奥行き感を際立たせるのです。



 内部にはそれらが反転したアトリウムがあるだけ。



 展示室は撮影禁止でしたが、修復にもちこまれた仏像などもあり、なかなかに見応えがありました。

 建築においては、一見単純に見えますが、この抑えが効いたたデザインは谷口吉生だけのものです。



 ニューヨーク近代美術館の新館をはじめ、これほど多くの美術館を設計している建築家はそういません。

 その実績が、実力を何より顕著に表しています。


 材こそ違えど、深い軒、長い縁側、そして開口部の障子と、三十三間堂を正面から見た景色とに非常に近いと感じます。



 ここを訪れる前に、向かいにある三十三間堂にも立ち寄ってきました。

 技術の進歩により建築は自由になりましたが、つきつめていくと750年前の木造建築に重なっていくのは、不思議でもあり、必然とも感じます。

 日本人としての遺伝子が発露しているとでも言えばよいのでしょうか。



 大きなカメラを持っていたからか、館の人が声を掛けてくれました。

 「正面の石積みは、穴太衆(あのうしゅう)によるものです」と教えてくれました。

 穴太衆とは大津市坂本穴太あたりに安土桃山時代から暮らすという、優れた石工集団の末裔です。ここは延暦寺と日吉大社の門前町でもありました。

 先の地震で崩れた、熊本城の石垣改修にも彼らが参加するという記事がありました。

 僅かな高さの石垣ですが、それを谷口吉生が望んだそうです。

 どんな時代であれ、建築は土地とは切り離せません。

 地産地消などという言葉を使うまでもなく、その地にある材で建築は構成されて、人はそこで暮らしました。

 この自由な時代に戻るべきところがあるとするなら、土地や環境、または先祖から引き継いだ記憶だとすれば、納得できる気がするのです。

 そういう芯の太い物創りを、私もしたいと思うのです。




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雪の延暦寺で宝の山をしる‐1346‐
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 先週の寒波で、関西も北部はかなりの積雪があったようです。

 京都のクライアントは「まだ家の周りに雪がありますよ」と。

 それなら近場でも雪があるかなと思い、比叡山まで行ってきました。



 入試も終わったので長男に「滑りに行くか」と声をかけると、友達と遊びにいくと。

 娘に聞くと、午前中は塾があると。

 重松清の「ビタミンF」にでてくる、悲哀に満ちた父親になっていないか、かなり怪しいところです。



 昼過ぎに大阪を出て、午後2時頃に到着しました。

 比叡山延暦寺は、最澄によって創建された天台宗の総本山です。



 世界遺産に登録されていますが、そこは娘には関係ありません。

 それで先に雪遊びですが、これだけ楽しんでくれたら来た甲斐があるというものです。



 おきまりの雪だるまですが、納得の一品でした。



 延暦寺にはかなり積雪がありました。



 また、山頂だけあってアップダウンがかなり厳しい。



 その分、有り難さが増すというものですが。



 国宝の根本中堂が工事中だったのは残念でした。



 総本堂とあるだけに、荘厳な建築でしたがこれは次回にお預けです。



 比叡山は、京都と滋賀の境にあります。


 雪空でしたが、東の眼下には大津の街なみが広がります。



 西には京都の市街地が。

 山頂は雪でしたが、京都市内は日が差しているようでした。



 光を受けて、家々のいらかが金色に輝いています。

 沢木耕太郎の「バーボンストリート」は、私の中のベストワンエッセイです。

 その中に、高倉健の章がありました。

 彼は俳優という仕事を追求するため、度々延暦寺を訪れていました。そして住職にこんな質問をします。

 住職ほどの僧になられたら、京都の夜景をみても心は乱れないのでしょうね。

 すると、いえいえ、そんなことはありません。どれだけ修行をしても、ゆらめく街の灯をみていると、夜の街へ出てみたいといつも思います。人とはそういうものです。

 そんな話だったと思います。

 立派な人、歴史上の偉人を、別格として捉える傾向が日本人は強い気がします。

 これを、元サッカー日本代表監督のオシムは、中村俊輔らとの葛藤を語る際に「スターマニア」という言葉を使いました。

 天台宗の座主をばかにしたり、高倉健が普通の人だと言いたいわけではありません。

 同じ人間なのだから、諦めないと言い続けたいだけなのです。

 天台宗の開祖、最澄は自らの著書をこの言葉ではじめます。

 「一隅(いちぐう)を照らす」



 続けて、「此れ即ち国宝なり」。

 社会の一隅に立ち、利己的な心を捨て、世のため人のために良いことを行う人こそが国の宝だと、最澄は言いました。

 そういう人たちに、スポットがあたりにくい世の中になってはいないだろうかと思います。

 華々しく、人前に立つ人だけで世の中はよくならないし、スティーブ・ジョブズは1人だけです。

 むしろ、地道に自分の仕事に打ち込む人こそが、宝なのだと平安時代に最澄は言ったのです。

 また、そういった人材を育てることを、一生のつとめとしました。

 国宝、市宝、社宝、家宝。

 まさに世は宝の山だったのです。




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「中庭のある無垢な珪藻土の家」‐3‐現場マジック
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 この敷地は南西の角地で、隅切りがあります。

 隅切りとは、個人の敷地であっても建築基準法上、建築ができない部分のことです。



 その敷地の特徴をどういかすか。

 それは建築設計の永遠のテーマですが、これだけ特徴があると反対に、意思決定は早くなります。

 どうせ建築できないなら、来客用の駐車スペースにするのがよいだろうと考え、プランを練っていったのです。



 その形が、徐々に出来上がってきました。



 夏の西側からの直射を避けるため、西に開口部はありません。



 それがこの建物の表情と、品格を表してくれると考えています。



 特に、屋根の端部は重要です。



 内部からみると、その形が分かりやすいでしょうか。


 斜めの壁と交差する部分にはスリット状の開口を設けました。

 建ぺい率をクリアするため、どこかの面積を削る必要がありました。それならこの部分にくびれをつくり、西側の顔をよりはっきりさせてはと考えたのです。

 環境と宇宙の違いは、自分が含まれているか否かの一点だけが異なっているといいます。

 環境を理解し、宇宙と一体となれたのか。

 もうすぐその答えが明確になります。

文責:守谷 昌紀


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株式会社一級建築士事務所アトリエm

プロフィール

株式会社一級建築士事務所アトリエm

夢は必ず実現する、してみせる。

一級建築士  守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) ・2013年1月6日 『匠が選ぶビフォーアフター大賞2012』空間アイデア部門賞受賞 ・雑誌は多数掲載→http://www.atelier-m.com/pub.html 1970年 大阪市平野区生...

株式会社一級建築士事務所アトリエmの事例

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  • サロンのある家

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