家は星座に似ている<羽曳野の家>‐1448‐



 2018年初めの取材は「羽曳野の家」になりました。

 竣工は、2016年の6月ですが、三男君はその2ケ月後に誕生。



 webサイトにUPしている写真は更にその半年後の写真です。

 この時は、奥さんが抱っこしたり、寝かしつけをしながらご家族6人での撮影で、とても賑やかだったのです。



 その時以来の訪問で、丁度1年振り。



 このあたりは住宅街のはずれに位置し、とても環境のよいところです。



 まずは、次男君が笑顔で出迎えてくれました。



 三男君も1歳半になり、すっかり大きくなりました。



 取材クルーは、編集者、ライター、カメラマンの3名で、うち2名は東京から。

 住宅誌のライターは女性が多かったので、男性は初めてかもしれません。

 他には旅の記事も書くそうで、取材の合間に、旅話で盛り上がっていました。

 余談ですが、小笠原諸島には空港がないそうで、最もハードルが高いことが分かったのです。



 ご主人への取材は、リビングのラグの上で。

 冬でもとても暖かいと答えてもらいました。



 冬は建物奥深くまで日が差し込み、夏はできるだけ日を入れないことに拘って設計してきました。



 朝に暖房を入れると、その後は不要とのこと。



 ウッドデッキも、うまく内と外をつないでくれています。

 一旦減額で無くなったのですが、奥さんの「DIYででも」という熱意が、実現につながりました。



 ロフトにあるガラス瓦は、ライターの人も「初めて見ました」と。

 瓦屋根が減っているからだと思いますが、シンプルに光を取り入れることが出来る優れた材です。

 その奥に見えるのはご主人の書斎。



 だったのですが、次男君の遊び場となりました。

 彼は電車好きで、プラレールが常設されているのです。



 取材陣に好評だったのが、キッチン後ろの収納。

 冷蔵庫、電話も含めて、全て引戸の後ろに隠されています。



 スチールラックに2種の収納カゴで、とても上手に、美しく収納されています。

 水色のカゴは百均のものだそうですが、カラーのテイストを統一するだけで、全く違う景色になるものです。



 撮影の皆さんから色々褒めてもらいましたが、やはり奥さんの小物選びのセンスが光っていると思います。

 奥さんはいつも謙遜されるのですが。



 紺のラグ、紺のタイル、紺のクロスに紺のイス。

 水色のカゴに、水色のクロス。

 ラグ、洋服等も、チェック柄が多かったのも奥さんの好み。

 物に意思はありませんが、ストーリーを与えてやるとそれぞれが、つながり輝きだします。

 夜空の無数の星から、神話というストーリーを見つけるのに似ています。だとするなら、出来上がった家は星座といえそうです。

 ライターから奥さんへ「なぜ守谷さんを選ばれたんですか」という質問がありました。

 私が前にいては答え難いと思い、席を外そうとすると、即答でした。

 「私とお誕生日が一緒だったんです」

 365分の1なので、光栄なことですが、少しずっこけたのです。




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雪道で思う、マナーや道徳観では弱すぎる ‐1447‐



 今日は1月11日で111のゾロ目。

 何となく縁起の良い、そしてとても寒い朝ですが、少し苦言を呈してみたいと思います。

 最近ウィンカーを出さずに車線変更をする車が増えたと感じるのは、私だけでしょうか。

 スマホの影響もあると思いますが(運転中の操作はもちろん違反です)、ウィンカーは他の車に自分の意思を伝えるためのもの。

 周りもそれを察知し、スピードを緩めたりすることで、より安全な車の移動がかないます。言わば安全の相互扶助。

 車同士の距離が離れているからと、ウィンカーを出さずにいきなり車線変更をするのは身勝手な行動で、完全に間違いです。

 年末年始の東北行きで、かなり怖い場面がありました。



 1月2日(火)の深夜2時頃、娘が体調を崩して救急病院へ連れて行きました。

 蔵王温泉スキー場から山形市内の病院まで山を下り、ホテルに戻ったのが明け方の4時。娘が容体が落ち着いたのが何よりでした。

 この日は雪が降り続き、気温は-10℃。



 山形市内の路面はアイスバーン化してしました。

 学生時代から車は4WD一筋ですが、ディスカバリーはやはり悪路に対しての性能は高いと感じます。

 しかし、滑る時はやはり滑ります。

 今思えば、このとき予行演習をしておいてよかったのかもしれません。



 翌1月3日(水)は蔵王温泉から、フェリーのでる仙台まで100km程の移動です。

 夜が明けても雪は降り続き、宿を発つ際に再度雪かきをしました。気温は-9℃。



 鼻水を垂らしたようになっていますが、人が立っているのも難しいなかを、車は走るのです。



 大半の宿泊客はスキーをしてから帰るので、朝に宿をでる車は多くありません。



 山形自動車道へ通じる山道はおよそ20kmの下り。

 ナビで下見をすると、後半は九十九折のカーブが続いています。

 また、反対車線はスキー場を目指して気が急くのか、かなり飛ばしてくるのです。

 センターラインを割ってくる車両もあり、これは気を付けないと、と思っていました。



 終盤、更に雪が激しくなってきました。

 最後の峠を越える前、車を一旦脇に停めて一部凍っていたワイパーの氷を取り除きました。

 学生時代、冬の北海道での合宿中に初代サーフを電柱にぶつけた経験があります。

 雪道をどれだけ飛ばして来たかを自慢する人は結構います。

 しかし私の限られた経験でいえば、凍った道の上で制動を失った車を操る方法はありません。

 自衛したければ、ゆっくり走るしかないのです。

 また、曇ったゴーグルでは判断力が落ちるように、フロントガラスは、常に先回りをしてケアをすべきだと身をもって知りました。



 山道もこの峠を下れば終わり。

 ギアをセカンドにして、エンジンブレーキでこの坂を下り、2度程カーブを切ったその先に、下りの直線が見えました。

 反対車線を除雪車が登ってくるのが見えました。その距離およそ100m。

 その後ろに、乗用車が3台続いています。

 見えたと同時に、一番前の車両が何と除雪車に追い越しをかけてきたのです。

 ローまでギアを落として更に減速しますが、どう考えてもこのままでは正面衝突するしかありません。

 対向車は後ろの車を気にしてか、自分の車線に戻る気配はなし。

 ブレーキを踏みますが、車のABSが働くまでもない軽いグリップのみ。

 完全に滑りだしました。

 車が滑った場面を経験したことがある人なら想像してもらえると思いますが、まるでスローモーションの映像を見るようです。

 これはぶつかるかも思った瞬間、偶然左にパーキングエリアのような空間が現れました。左にハンドルをきり、何とかそこにねじ込んだのです。

 真っ白なパーキングエリアの中でも滑り続け、180度回転して運転席側のボディーを雪の壁にぶつけて、ようやく車が止まったのです。

 幸い、雪の壁に当たる時には、かなり減速していたのと、深い新雪だったので、車体には何のダメージも残りませでしたが、怒りだけが残りました。

 雪で見えない側溝に、前輪が落ちていましたが、目一杯ハンドルを切り、バックで脱出すると、心配そうに一部始終を見ていた除雪車の作業員も、車を発進させていきました。

 つまらない自慢をしたい訳ではないのですが、峠の入口で十分に減速していなければ、確実に正面衝突したと思います。

 偶然左手にスペースが現れたから良かったものの、かわす寸前の対向車との距離は1mは無かったと思います。

 しかし、その車は止まる訳でなく、そのまま蔵王へ向かって走り去っていきました。

 これを機に、ドライブレコーダーを付けることにしようと思います。

 車は2tonもある鉄の塊で、これが高速で移動するのですから完全に凶器です。

 その車を操っているという自覚を持たない、ドライバーがあまりにも多すぎると思うのです。

 ある外科の名医が、こんなことを言っていました。

 「本当のプロは、目の前に水が入ったコップがあったなら、その後ろにあるものを、無理な体勢で取ろうとはしない。

 まずは、手前にある水の入ったコップを除け、危険な要素を排除してから、その後ろにあるものを取る」

 昨年、危険運転で捕まった不届きもののドライバーは、足で運転するのを自慢していたそうです。こういった輩は、プロの対極にいる人達。

 守られた鉄の箱の中でだけ、強気になれるタイプなのです。

 また、強引な運転で割り込んでくるドライバーが、普段の仕事の中で、1分1秒を大切に生きているとは想像できません。

 普段ダラダラしている者に限って、ギリギリに家を出て、焦って危険な運転をするのです。

 最後のくだりは私の勝手な想像ですが、大きくは外していないと思います。

 「杞憂」は、昔、中国の杞の国に、天が落ちてきたらどうしよう、地面が崩れたらどこに逃げたらいいだろうと心配して、夜も眠れず、食事も喉を通らなくなった人がいたという故事によるものです。

 概ねは、取り越し苦労の意味で用いられるもの。

 しかし、ハンドルを手で握らない者や、車線の中央から追い越しをしてくる者が居るなら、杞憂では終わらせられない時代に入っていると感じるのです。

 車はとても便利なものだし、大好きですが、あの簡単な試験で、免許を与えてよい時代は終わったのかもしれません。

 不適格者には免許を与えない、勇気をもった、厳しい審査と試験が必要なのではないかと思います。

 飲酒運転やひき逃げの厳罰化は当然だと思いますが、残念ながら、マナーや道徳観に頼る時代はもう終わっているのではと思うのです。



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2008-2018「日本発見の旅」‐1446‐



 娘が生れて3ヵ月経った2008年の5月。

 家族で白浜へ出掛けました。



 4人での旅行はこれが初めて。



 2011年のゴールデンウィークに、フェリーで大分、熊本へ。

 その際に「フェリーを使えば、47都道府県を自分の車で走破できるんじゃないか」と思ったのです。

 これが「家族で47都道府県制覇」の初めの動機です。



 結局、青森と秋田、そして沖縄はレンタカーに頼りましたが、この年末年始に宮城を訪れてようやく完結。

 テーマは、家族で隈なく日本を巡りたいという単純なものですが、色々な発見がありました。

 私たちの「日本発見の旅」をまとめてみます。

1 北海道



2015年5月3日 イサム・ノグチの遺作、札幌モエレ沼公園。

 札幌-稚内はさすがに遠かった。

2 青森県



2017年5月3日 美しき世界遺産、白神山地。

 岩木山は津軽の良心。大人物はよい山のある街に生まれるそう。

3 岩手県



2017年5月4日 標高1,400mの藤七温泉。

 泥パックでつり、家族4人で入る風呂はこれで最後。

4 宮城県



2017年12月30日 日本三景に数えられる松島。

 杜の都、仙台はその名に恥じないケヤキ並木の美しい街だった。

5 秋田県



2017年5月4日 日本一深い神秘の湖、田沢湖。

 秘湯、乳頭温泉はそのネーミングにユーモアあり。

6 山形県



2015年8月15日 芭蕉が立ち寄った立石寺。

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

7 福島県



2015年8月13日 唯一無二のフォルム、さざえ堂。

 福島第一原発の困難が、必ず喜びに変わりますよう。

8 茨城県



2015年1月2日 古河市の通過のみ。

 次の機会は、水戸へ黄門さま詣でに。

9 栃木県



2015年1月2日 家康の威光の結晶、日光東照宮。

 ブルーノ・タウトは日本で「ほんもの」と「いかもの」をみた。

10 群馬県



2014年12月31日 ♪一度はおいで~♪の草津温泉。

 古きものは良きもの。であることが多い。

11 埼玉県



2017年11月5日 長いトロ、だから長瀞

 SLの走る風景は、ノスタルジーを感じさせる。

12 千葉県



2014年10月13日 夢の国、ディズニーランド。

 期待は裏切らないし、裏切れない。

13 東京都



2014年10月14日 スカイツリーより、内藤多仲設計の東京タワーが好き。

14 神奈川県



2009年6月7日 箱根の関は芦ノ湖の湖畔に。

 旧東海道の石畳に、出女の足跡を想う。

15 新潟



2014年4月6日 大雪のシャルマン火打スキー場。

 米どころ、雪どころ新潟。

16 富山県



2015年7月23日 急峻な山地に急深の海が、黒四ダム、蜃気楼、ホタルイカを生む。

17 石川県



2012年5月2日 千里浜なぎさハイウェイを自分の足で走る。

 能登半島は、松本清張の描く「ゼロの焦点」の世界のままだった。

18 福井県



2014年9月28日 愛しき敦賀の海。 

 私の夏はいつもここに。

19 山梨県



2015年1月3日 富士は日本一の山。

 一富士二鷹三茄子。日本はどこまでも富士。

20 長野県



2016年1月1日 霊峰、御嶽山。

 その佇まいに、居住まいをただす。

21 岐阜県



2008年11月4日 白川郷で受け継がれるもの。

 それは茅葺の技術と、互いに助け合う「結」の思想だった。

23 静岡県



2011年6月18日 浜名湖ならやっぱり鰻。

23 愛知県



2016年9月18日 尾張名古屋は城でもつ。

 ひつまぶし、天むす、きしめん、味噌煮込みうどん……名古屋巡りは食で十分もつ。

24 三重県



2013年4月29日 女性のバイタリティを、伊勢の海女にみる。

 時代が時代なら、一生に一度のお伊勢参り。

25 滋賀県



2017年11月4日 マザーレイク琵琶湖。

 関西の強さの源でもあり。

26 京都府



2016年5月22日 水面に映える金閣。

 600年前の創建時なら、その美しさは海のむこうまで届いたはず。

27 大阪府



2009年7月21日 大阪のシンボルは、内藤多仲設計の通天閣。

 インバウンド頼みから脱却し、大大阪を目指せ。

28 兵庫県



2014年8月13日 世界最長の吊り橋、明石大橋。

 土木技術の粋が、人の流れを変えた。

29 奈良県



2013年1月14日 世界最大の木造建築、東大寺。

 建築時のロープは、女性の髪の毛頼み。

30 和歌山県



2008年8月16日 白浜のシンボル円月島。

 日本最古の温泉街は、海、水族館、動物園、食となんでも揃う身近な南国。

31 鳥取県



2013年8月13日  鬼太郎が生まれた境港。

 家族連れに楽しい街だった。

32 島根県



2017年8月11日 神々が集う出雲大社。

 庁の舎の解体は寂しいの一言。

33 岡山県



2008年7月27日 父の里、琴浦。

 島々の 浮かぶは瀬戸の 美しさかな

34 広島県



2011年3月21日 世界遺産、厳島神社。

 自然のリズムを知り、自然の脅威を知ったがゆえ、ここに存在するものだった。

35 山口県



2014年8月16日 維新の志士を輩出した松下村塾。

 高杉晋作の辞世の句は、人生訓でもある。

 面白き こともなき世を面白く 住みなすものは 心なりけり  

36 徳島県



2008年7月27日 鳴門海峡の渦潮。

 真近でみる迫力は、ラーメンに浮かぶナルトの比にならず。

37 香川県



2008年7月27日 象の頭に似たので象頭山

 象の眼に位置する金刀比羅宮。日本一の石段がある。

38 愛媛県



2014年5月5日 東洋のマチュピチュといわれる別子銅山。

 そこで感じたのは「住友」愛。ひいては、戦後の日本人の仕事愛だった。 

39 高知県



2014年5月4日 最後の清流、四万十川。

 自然との共生は、ミニマリズムにある。

40 福岡県



2014年8月14日 博多名物の屋台。

 味は普通、値段も普通、衛生は……それでも価値のあるものを、文明でなく文化という。

41 佐賀県



2015年9月21日 弥生時代後期の環濠集落、吉野ヶ里。

 吉野ヶ里歴史公園センターも設計した、菊竹清訓ゆかりの地。佐賀はやはり、♪ SAGA さが ♪ だった。

42 長崎県



2015年9月21日 明治維新の一場面を演出したグラバー邸。

 坂の街、長崎は、金沢、函館と共に、私の思う最も美しい街。

43 熊本県



2011年5月2日 阿蘇の草千里。

 雄大な景色は、西日本随一。

44 大分県



2011年5月4日 地獄のある街、別府。

 対して温泉には天国の趣きが。

45 宮崎県



2017年7月23日 九州北部豪雨後の高千穂峡。

 水がカフェオレでも、船に乗れただけでも有り難い。

46 鹿児島県



2011年8月15日 指宿の砂風呂。

 有名観光地は、朝駆けにかぎる。 

47 沖縄県



2017年2月12日 ふらりと寄った、浜比嘉島の民家。

 自然に滲み出す街のエッセンスこそが、旅の醍醐味。

 約10年かけて、2008-2018年の日本を巡りました。

 改めて思うのは、この国は「安全で、本当に美しい」ということです。

 先週末に亡くなった、闘将・星野仙一はこう言っていました。

 迷ったら、即行動

 これも私の人生訓とさせて貰っています。

 弘前が生んだ作家・寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。10年後、20年後の日本はまた違った景色になっているでしょう。

 当たり前ですが、今の日本は、今しか見れません。

 これにて、「家族で47都道府県制覇の旅は」の旅は全て終了。

 次からの旅のテーマは<家族で世界遺産>にしようと思います。

 今日は成人の日。10年後、娘が成人するまでには達成したいと思うのです。

<家族で世界遺産(日本)>
  15/21 【】は未訪問
 
1  法隆寺地域の仏教建造物  文化遺産 / 1993
2 【姫路城】 文化遺産 / 1993
3 【屋久島】 自然遺産 / 1993
4  白神山地 自然遺産 / 1993
5  古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市) 文化遺産 / 1994
6  白川郷・五箇山の合掌造り集落 文化遺産 / 1995
7  原爆ドーム 文化遺産 / 1996
8  厳島神社 文化遺産 / 1996
9  古都奈良の文化財 文化遺産 / 1998
10  日光の社寺 文化遺産 / 1999
11  琉球王国のグスク及び関連遺産群 文化遺産 / 2000
12  紀伊山地の霊場と参詣道 文化遺産 / 2004
13 【知床】 自然遺産 / 2005
14  石見銀山遺跡とその文化的景観 文化遺産 / 2007
15  平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 文化遺産 / 2011
16 【小笠原諸島】 自然遺産 / 2011
17  富士山-信仰の対象と芸術の源泉 文化遺産 / 2013
18  富岡製糸場と絹産業遺産群 文化遺産 / 2014
19  明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 文化遺産 / 2015
20 【ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献】文化遺産 / 2016
21 【「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群】 文化遺産 / 2017



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緑を囲む京都のオフィス「山本合同事務所」‐6‐バームクーヘンも登場



 今年も残すところ1週間あまり。

 遅れ気味になっていましたが、ようやく「山本合同事務所」の引渡しが終わりました。



 このオフィスは北向きなので、光は裏側からとることになります。

 反対に言えば、北側に対しては思い切って開くことができるのです。



 駐車場脇にある階段が、キューブの中に貫入していきます。



 階段前にある看板は、クールに仕上げました。



 エントランスはワークスペース中央。



 奥に進むとオーバルカウンターを備えたメインのワークスペースです。

 南の開口から、またトップライトから、冬の柔らかい日差しが差し込んでくるのです。



 手前にあるのは、今回初登場のバームクーヘンデスク。



 この有機的なフォルムを持つ2つのデスクが、人の流れ、関係性を創造してくれることを期待しています。



 バームクーヘンの北側はガラスのカーテンウォール。

 北側道路を望み、吹抜けで3階と繋がっています。



 3階は、応接室でありリビングでもあります。

 右手に見えるのはロフトへのハシゴ。



 一番奥にあるトイレにはシャワーが備え付けてあります。

 繁忙期や打合せ後には、宿泊することも視野にいれてのことです。



 ミニキッチン、冷蔵庫は無印良品でまとめました。

 そして右手は再び吹抜け。



 3階も含めての大きな1室空間になっているのです。



 オーバルカウンターに合わせて、天井から吊り下げられたペンダントライト。

 これは、クライアントが東京で見つけてきたもの。



 シーリングファンが、緩やかに空間を撹拌してくれるでしょう。



 各席の横に移動して使う、ムービングキャビネット。

 オリジナルを木で制作しました。これはなかなの出来です。



 働く場所を快適に。

 誰もが思い、誰もが望むことです。

 その思いにどこまで応えられたのかは、本格的な業務が始まってからの評価になるでしょう。

 タイトルにある「緑」が中央にやってくるのも年始。

 いくらかの不安もありながら、楽しみにしているのです。

文責:守谷 昌紀


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こんな私で良かったら、好きになって頂けませんか?‐1442‐


 私のジョギングコースには、お寺が結構沢山あります。



 平野郷にある全興寺(せんこうじ)は聖徳太子によって建立されました。



 境内のナンテンが見事に色づいています。

 赤と緑が美しく、まさにクリスマスカラー。



 幸せや平和を願う気持ちに、宗教は関係ありません。

 昨日は、我が家でもささやかなクリスマス・パーティを開催しました。



 その際に、娘が「サンタはお父さんなんでしょう」と。

 小4で9歳。そろそろ……

 いやいや、そこは「信じるものは救われる」です。

 「信じる人のところには来てくれるんじゃないかな。お父さんは信じているけど」

 今朝、枕もとにあるプレゼントを見つけ、喜々とした声を上げていました。この話題はまた来年に持ち越しです。

 夕食後、先月録画していた安室奈美恵の番組を皆で観ました。

 子供達は「HERO」が好きで、買い与えていたのです。



 番組はキャリアのスタートから引退に至るまで、順を追ってインタビューでたどっていくという構成でした。

 15歳でデビューし、小室哲哉プロデュースで一気に時代の寵児に。20歳で結婚、そして休業。

 その後、小室哲哉による楽曲提供、プロデュースは終了します。

 売り上げも低迷し、彼女は自分を見つめ直すことになりました。

 そして、得意ではないMCが全くない、2時間、歌って踊り続けるコンサートのスタイルにたどり着いたのです。

 「こんな私で良かったら、好きになって頂けませんか?」

 10代、20代、30代、40代で、ミリオンセラーを記録した、唯一無二の女性アーティスト。その彼女の言葉です。

 ずしりと響きました。

 人はここまで謙虚になれるのです。

 彼女が話す姿を、初めてまじまじと見ましたが、極めて繊細な感性を持っているのだと分かります。

 引退撤回大いに結構という記事を一度書きました。

 「一生続けていく仕事じゃないなと思っていた」の言葉と、「もっと楽しい未来が待っていると思っている」の言葉を、僭越ながら応援したいと思います。

 今年の年末は、久し振りに紅白を観てみようかと思ったのです。



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1985年のサザンオールスターズ‐1441‐


 『houzz』という、建築家登録サイトがあります。

 このサイトはアメリカ発の会社で、世界展開をしています。昨日、「松虫の長屋」を特集記事で取り上げてもらいました。



光庭と思いやりの「5段」の距離感。三世代家族の幸せを育む、築44年の長屋リノベーション

『houzz』からオファーがあり、ライターのkawaguchiさんから取材を受けました。

 非常に的確で、また大げさになりすぎす、とてもよい記事だと思います。

 他者に認めて貰う、特別扱いして貰うことは、仕事の遣り甲斐のなかでも、かなり大きなウェイトを占めていると思うのです。

 初めての著書を出版させて貰いましたが、出版社が月曜日にプレスリリースをしてくれました。

 産経新聞時事通信日刊工業新聞とそれぞれのweb版の中で、プレスリリース枠に掲載されていました。

 毎日、多くの企業がこれだけ沢山のプレスリリリースをしていることを初めて知りました。

 この高度情報化社会で、人に見て貰う、目に留まるということは、極めてハードルが高いことだと、反対に納得したのです。



 こちらは、少し前に新聞記事でみかけた本。妻に購入を頼んでいましたが、なかなか届かずでした。

 品薄になるくらい売れているのかも知れません。


『サザンオールスターズ1978-1985』
スージー鈴木(著)

 音楽評論の本を読んだのは初めてですが、結論でいうとかなり面白かったのです。

 「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」にサザンオールスターズが登場したのが1978年8月31日。



 デビュー曲「勝手にシンドバッド」を、短パンにランニング姿で桑田佳祐が歌う映像は、何度も観たことがあります。

 当時私は小学2年生。それがリアルタイムだったのかは定かではありません。



 1982年の「チャコの海岸物語」のヒット時は6年生になっていたので、はっきり覚えています。

 1978年に衝撃の登場をしたサザンオールスターズが、1985年「メロディ」という傑作が収録されている「KAMAKURA」というアルバムを発表し、活動停止に至るまでが描かれています。



 サザンはコンサートに行くほどのファンではありませんでしたが、ここで紹介されていたアルバムの半分くらいは持っています。

 カラオケが好きという程ではないのですが、いざ歌う機会があれば、「Ya Ya 」「ミス・ブランニュー・デイ」「「Bye Bye My Love 」「メロディ」などに頼る確率は高いです。

 練習なしでそれなりに歌おうと思うと、メロディラインくらいは自然にでてこなければなりません。

 8歳から15歳の時期に、サザンの音楽はいつもまわりに流れていました。

 「勝手にシンドバッド」は沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レデイーの「渚のシンドバッド」をあわせたパロディだったとは全く知りませんでした。

 コミックバンドのような扱いから、国民的バンドへと成功、成長していく過程を、日本の音楽史、洋楽の影響も含めロジカルに語られており、飽きることがありませんでした。

 特に、日本語をロックに載せた功績は、過小評価されすぎだと著者は憤っているのです。

 歌の聞き方は人それぞれです。

 私にとって流行歌(あえてそう書きますが)は、その行間に自分の人生を投影しているものだと思います。いわば音楽日記。

 この点で、鑑賞するクラッシク音楽等とは、楽しみ方が違うのではないかと考えています。

 「胸騒ぎの腰つき」から「strawberry woman Don’t you go」まで。自分なりにsweet & bitterな、前期・青春時代を振り返っていました。

 「メロディ」のイントロが流れてくると、やはり気持ちは一瞬で15歳に引き戻されます。1985年のサザンオールスターズは、1985年の自分でもあるのです。

 King of Pop、マイケル・ジャクソンは映画「THIS IS IT」の中で、こう言います。

 最初のレコーディングの音

 観客のイメージどおりの

 それに忠実にしたい

 マイケルの求道者のような姿勢がとても好きです。

 歌の中で、人は歳をとれないのかもしれません。

 彼が自邸をネバーランドと呼びました。

 アーティストは歳をとってはならない、特別な存在でありたいと、誰より願っていたのだと思うのです。







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さらば、LOWEの14フィート‐1440‐


先週の月曜日は、湖での話を書きました。

 今日は海の話です。



 このボートが我が家にやってきたのは1988年、私が高校2年生の時です。

 父が購入したもので、船名を「MGⅡ」といいます。会社の屋号「守谷硝子店」からとったもの。

 ちなみに先代の「MGⅠ」はエンジン付きでゴムボートでした。

 およそ30年、海に湖にと付き合ってもらいましたが、ついに廃船することになりました。



 スクラップ工場へもちこむと、再生できる金属として引き取っとくれるのです。

 ようはアルミ屑となってしまう日。



 重量が約80kg。

 90円/kg、7千円ほどで引き取られていきました。

 舳先が曲がっているのは、クレーンから落とした痕跡で、それによって亀裂が入ったところは、アルミ溶接で修理してもらいました。

 まさに満身創痍だったのです。



 計量を終えるといよいよ解体棟へ。

 フォークリフトは言ってみれば霊柩車。



 「最後のお別れをしてください」という場面です。



 LOWE(ロウ)は、アメリカのブラックバス釣り用のボートです。

 持ち運びがしやすいので、海にも使っていました。

 しかし、約10年前から船底にクラックが入りだし、海専用にしました。補修を繰り返しながら使っていたので、寿命は全うしたと思います。

 海の思い出は、ほぼこの船とともにあります。



1992年9月1日

 大学生になってからは、毎夏フル稼働。

 こんな小さな船で海にでる体験はそうないはずなので、皆が喜んでくれたのだと思います。

 クルマは初代のハイラックスサーフ。



2007年9月22日

 2歳の長男といつも船を下す港の主、Sおっちゃん。

 私の最年長の友人です。



2008年9月14日

 Sおっちゃんは、父の古い友人です。

 海でのマナー、海での遊び方を教えてもらいました。

 この日は2人で痛飲。



2009年8月23日

 娘も1歳半になり、浜遊びができるように。



2009年9月13日

 ここがSおっちゃんの海での家。

 車は2代目のハイラックスサーフに。



 この船があったおかげで、磯で魚を突いたり、タコを獲ったりできたのです。



2012年7月29日

 娘も4歳になり、船遊びの楽しさも少し分かるように。



 長男が釣ったアコウ。

 とても美味しい魚です。



 長男は7歳になり、沖で潜りはじめた頃。



2009年9月2日

 従兄弟たちと。



 海の中は、いつも極彩色です。

 子供達に一番見せたかったのは、その景色だったと思います。



 獲物の基本は、小物のガシラですが。



2014年9月14日

 沖からみる海は、いつも本当に美しいものでした。



 車は初代ディスカバリーに。



 長男は、1人で潜るようになりました。



 家族で乗ったのは、この日が最後になりました。



 荷物を満載した車4代とともに、夏の相棒でした。



 80kgある船を引きずり回しながら、積み下ろしするのが私の夏でした。

 準備は大変でしたが、それが無くなると思うと、正直寂しいものです。

 心残りは、子供2人が中学生になるまで、このボートで遊べなかったことでしょうか。

 クルーザーは持てなかったけど、海面が近いこのボートで日本海に出るのが好きでした。

 車や船が去っていく時、言葉が尽きることはありません。

 形あるものはいつか壊れる。命あるものはいつか尽きる。

 分かってはいますが、30年も私に仕えてくれて、今は感謝の気持ちしかありません。

 さらば、LOWEの14フィート。

 今は次の船をイメージできないのです。




■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版■■■
<民家・住宅論>amazonランキング1位



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『建築家と家を建てる、という決断』AMAZON 1位‐1439‐

https://www.amazon.co.jp/dp/4865708820/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1513074679&sr=1-1

 「一般の方と建築家が近くなる本の執筆を依頼したく……」というメールが届いたのが2015年の12月。

 あっという間に、2年が経ってしまいました。

 初めての著書、『建築家と家を建てる、という決断』がようやく出版されました。



 2017年11月27日が1版となっていますが、実際に購入できるようになったのは一昨日の12月12(火)。

 amazonのページにいくと、「なか見!検索」とあり、約20ページを見ることができます。

 これだけ先に読めるようになっているとは知りませんでした。

 昨日の午後1時に見に行くと「民家・住宅論」のカテゴリーで「1位」となっていました。



  ‹ 本 ‹ アート・建築・デザイン ‹ 民家・住宅論

 周知の通り、上記のようにカテゴリーは細分化され、1時間ごとに更新されるようですが、それでも驚きました。

 著書をだすと、これらの1位を狙うためにキャンペーンをはると聞いたこともあります。

 「そんな嘘っぽいのは嫌だな」と思っていたのです。

 ひとつ上の「建築」まで階層を上げても、昨日の2時頃は27位でした。



 この時間帯のランキングは以下のようなもの。

1位 次の「震度7」はどこか!
 角田 史雄 (著)

7位 Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2017年12月号

8位 安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
 安藤 忠雄 (著)

21位 Casa BRUTUS(カ-サブル-タス) 2017年11月号

27位 建築家と家を建てる、という決断
 守谷 昌紀 (著)

28位 安藤忠雄 仕事をつくる―私の履歴書
 安藤 忠雄 (著)

 妻が言うには、1時間前までは24位だったとのこと。小細工は嫌だと書きましたが、気にならないといえば嘘になります。

 28位の安藤の著書は、日本経済新聞の人気コラム「私の履歴書」で、しかも5年前の出版です。

 私は人気作家でもないので、本当に1番だとか、安藤より支持を得たと思っている訳ではありません。

 これまでのクライアント、知人に送ったメールだけで、これだけ購入してくれたということに、ただ感謝するだけです。

 表紙は縦長が条件で、「松虫の長屋」から選びました。

 兄弟がボルダリングで遊んでいる姿をお母さんが見守っているものです。



 裏表紙は「高台の家」の擁壁下からのカットにしました。

 「家族の物語を空間に織り込みたい」そして「モノは美しくあってほしい」という、2つの思いから選んだものです。

 文章を書くことを職業としている人に、昔から敬意をもっていました。

 webサイトのプロフィールにあげた、好きな作家は以下の通り。

 開高健、沢木耕太郎、志水辰夫、司馬遼太郎、阿佐田哲也、半村良、水上勉、白石一郎、松本清張、宮本輝、池波正太郎 

 いずも文章が美しく、リズムがよい一流の作家ばかりです。

 しかし、ある人にとっては、この名前にもさほど興味がないかもしれません。

 建築家との家づくりを少しでも意識している人になら、価値のある本を書くことできるのではと思い、筆をとってみたのです。

 広げた風呂敷ほどの内容があったのか、全く期待外れなのか、興味のあるかたはご一読下さい。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版■■■
<民家・住宅論>amazonランキング1位



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(仮称)トレジャーキッズたかどの保育園‐4‐鉄の骨つながる



 「(仮称)トレジャーキッズたかどの保育園」は、今週初めから建方工事が始まりました。



 鉄骨造の建物は、工場製作した部材を現場で組み上げていきます。



 あまり大きなものトラックで輸送できないので、それぞれの部材に分けるのですが、繋がる部分を「継ぎ手」といいます。

 これらは、どの部分で繋ぐのが構造的によいか、また施工に適しているかなども含めて設計されています。



 その部材を実際に繋ぐのは人の手仕事。

 クレーンオペレーターと職人の息が合っていなければ、危険が伴う仕事なのです。



 梁の片端を一旦仮止め。



 そしてボルトナットを順に締め付けていきます。



 手前の左にある柱が、前回の記事でとりあげた部材。



 横たわっている姿と、実際に立ち上がったのでは、随分と心象が変わるものです。



 延べ面積600㎡以上。

 その躯体が組みあがりました。

 これら、文字通り鉄の骨がこの建物の安全を担保するのです。



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趣味を仕事にする‐1438‐




 芸術家・岡本太郎は「私は趣味などという卑劣なものをもたない」と言いました。

 さすがは岡本太郎、といったところです。



 私の趣味は釣り。

 岡本太郎の域には達していないことになりますが、1年のうちの10日間、湖上に浮いている時間はやはり幸せです。



 妻に「休めそうなので釣りに行こうかと思うと」と言うと、「この寒いのに?」と。

 確かに、明け方は氷点下。山頂部には冠雪も見えていました。

 しかし、好きや趣味に寒さは関係ないのです。



 奈良県下北山村にある池原ダムに魅せられて20年強。

 1988年、村が中心となりブラックバスを観光資源として放流しました。

 美しい大自然と共に、村が釣り客を歓迎してくれるのも、ここに通う理由です。

 放流されたのがフロリダバスという種で、 日本でも最大級の魚が釣れることでも知られます。

 そのひとつの基準が60cmオーバー。通称、ロクマルです。



 水面まで上がってきた時、久し振りに「超えたか?」と思いました。



 が、測ってみると57cm、2kg。

 残念ながら60(ロクマル)には届きませんでした。



 春、夏、秋に比べ、数が釣れない冬は基本大物狙い。

 若干濁りがあったこの日は、特大を狙って20cm以上ある巨大スプーン(ルアーの種類)でスタートしました。

 水温は低いものの、新鮮な水が流れ込んでくるエリアにいる、体力のある個体を狙いました。ここまで読みが当たるとまさに爽快。

 湖で食事をしていた時、スプーンを水中に落としてしまい、それに魚が食いついてきたのがその名の由来です。

 ルアーフィッシィングの始まりともいわれ、その後スポーツフィッシングとして、欧米で社会に浸透していきました。

 バスフィッシングにはプロの試合があり、それらに参加するのがバスプロです。

 サッカーにJ1、J2があるように、バスプロの世界にもクラスがあり、最上位のカテゴリーをTOP50と呼びます。

 昨年まで、このカテゴリーで活躍していた北山睦プロと、昼食が一緒になり、その世界での話を聞かせてもらいました。

 ちなみに、2015年に長男へルアーをプレゼントしてくれた山岡計文プロは下北山村の出身で、今年は年間3位の活躍。まさにトッププロとなりました。

 北山プロはTOP50の権利を持ちながら、諸事情で一旦撤退したそうですが、その話がとても面白かったのです。

 トップカテゴリーに参加するのにはいくらの費用がかかる、1位の賞金は数百万円で、6位は微々たるもの。

 また「この時期ならどの場所で、どんな深さを、どんなルアーで、どのようなコースを通すかで釣果は変わってくる。釣れる人と釣れない人の差があるとすればそれくらい」と。



 帰り際も、更に釣りの話を聞かせてくれました。

 トッププロだけあって、極めて論理的。聞いているだけで釣りが上手くなる気がします。

 この閑散期にやってきた甲斐がありました。

 年末年始もここで過ごすそうで、本当に釣りが好きなのだと分かります。

 サッカー少年がJリーガーになるように、好きが仕事になるのは理想的です。しかし、その道が楽であるはずがありません。

 スポーツとはそもそもが遊びや娯楽なので、行為自体に楽しみがあります。娯楽を仕事にする訳なので、もちろん競争は激しいものになります。

 また、それ自体に生産性がある訳ではないので、この大量消費社会、高度情報化社会であるからこそ、職業たりえるのです。

 「職業に貴賎なし」が大原則なので、軽んじるつもりは全くありませんが、はっきり言えば無くなったからと言って、生死に直接の影響はありません。

 若者が車を持たないなど、バスフィッシングも2000年あたりをピークに、どちらかといえば衰退傾向です。

 北山プロにしても、山岡プロにしても、そのあたりを分かっているので、裾野のファンを大切にするのです。

 大相撲の問題をみると、全く反対の印象を受けます。

 私の年代で、相撲ファンを見つけるのは相当に困難です。あまりにも低い道徳観と、世間とのギャップをみると、怒りに近いものを感じます。

 国鉄や郵便の民営化よろしく、国技という冠を外して欲しいとさえ思うのです。

 この類の話しを長男にしたとき、「建築家がいなくなっても、誰も死なないじゃない」といわれました。

 全くその通りです。だからこそ、違いを求める人達に選んで貰えるよう、仕事に打ち込むしかないのです。

 私の釣り自慢から少し話がそれました。

 元監督の野村克也は、タニマチの存在が一時、阪神の選手を駄目にしていたと言っていました。

 タニマチは相撲用語。甘やかす、は全ての巨悪の根源なのです。

 相撲協会は、勇気をもって極めて厳しい判断をしてもらいたいと思います。

 でなければ、未来はないというところまで来ていると思うのです。



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株式会社一級建築士事務所アトリエm

プロフィール

株式会社一級建築士事務所アトリエm

夢は必ず実現する、してみせる。

一級建築士  守谷 昌紀 (モリタニ マサキ) ・2013年1月6日 『匠が選ぶビフォーアフター大賞2012』空間アイデア部門賞受賞 ・雑誌は多数掲載→http://www.atelier-m.com/pub.html 1970年 大阪市平野区生...

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